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アントニオ猪木が日本で初めてメインイベント戦に出場したのは、いつか?

 アントニオ猪木が日本で初めてメインイベント戦に出場したのは、1966年10月12日のことです。この日、蔵前国技館で旗揚げされた「東京プロレス」の第1弾興行「ビッグマッチ・シリーズ」の初戦が、アントニオ猪木の日本で初めて出場したメインイベント戦です。

http://livedoor.blogimg.jp/abc123da/imgs/c/f/cf55c0da.bmp

 2年間のアメリカ修行を終えたアントニオ猪木は、「日本プロレス」の第8回ワールド・リーグ戦に参加するため、凱旋帰国する予定でしたが、帰国途中の中継地「ハワイ」で、日本プロレスを事実上追放された、日本プロレス前社長の豊登の勧誘を受けて、「東京プロレス」に引き抜かれます(=太平洋略奪事件)。

 豊登は、デビュー6年目で中堅若手レスラーでしかなかった、弱冠23歳のアントニオ猪木をエースにして、新団体「東京プロレス」を旗揚げします。猪木の素質や才能に懸けたというよりは、有力選手を他に引き抜けなかったというのが実情かと思われます。

●「東京プロレス」所属選手

アントニオ猪木 23歳 60年デビュー(6年目)
豊登      35歳 54年デビュー(12年目)元大相撲力士
マンモス鈴木  25歳 58年デビュー(8年目)
田中忠治    24歳 58年デビュー(8年目)当時、豊登の付き人
高崎山猿吉   24歳 62年デビュー(4年目)
木村政雄    20歳 64年デビュー(2年目)元大相撲力士
斎藤昌典    24歳 65年デビュー(1年目)

1966年10月12日にデビューした新人
柴田勝久    23歳 元大相撲力士
永源勝     20歳 元大相撲力士
仙台強     24歳 元大相撲力士
大磯武     22歳 元大相撲力士
寺西勇     20歳 元大相撲力士

詳細不明
金田照男    36歳 
竹下岩夫    28歳 
中川弘     ??歳 

 

メインイベントの対戦相手は、?

 「毒針」「金髪の妖鬼」ジョニー・バレンタインでした。ジョニー・バレンタインは、デビュー19年を数えるベテランレスラーで、このとき37歳でした。ジョニー・バレンタインは、アメリカのテキサス・テリトリーで、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックと抗争中の、まだ見ぬ大物レスラーのひとりでした。来日時「USヘビー級王者」となっていますが、これが何の「USヘビー級王者」なのかは確認できませんでした。

 この強豪バレンタインをブッキングしたのは、サニー・マイヤースです。サニー・マイヤースは、猪木のアメリカ修行時代のコーチで、猪木を評価していた人物だと云われています。サニー・マイヤースは、ジョニー・バレンタイの他にも、ジョニー・パワーズも招聘しています。アントニオ猪木は、12年後の1978年にジョニー・パワーズから「NWF認定世界ヘビー級選手権」を奪取します。

http://www.onlineworldofwrestling.com/pictures/j/johnnyvalentine/11.jpg

ジョニー・バレンタイン
身長190㎝/体重115㎏。1947年デビュー。1955年1月にロサンゼルスでバディ・ロジャースを破って、カルフォルニア州選手権を獲得。1975年10月飛行機事故の負傷がもとで引退。

youtu.be

 1953年3月、ジョニー・バレンタイン 対 元祖「ネイチャー・ボーイ」バディ・ロジャース戦です。なかなか激しい内容です。ボディ・スラムや、バディ・ロジャースの決まり手のパイルドライバーなど、かなり痛そうです。

  

 

 

 手元にある少ない記事を基に試合を再現してみますが、足りないところは、基本、想像しています。

試合経過と勝敗

 旗揚げ戦に訪れた観客は、1万人ち『プロレススーパースター列伝』の第8巻にありますが、本当かどうかは分かりません。ただたくさんの人が訪れたことは間違いないようです。スポーツ新聞の煽り記事などもあり、注目を集めた一戦であったようです。

 外国人レスラーは打撃が嫌いと聞きますが、動画を見る限りだとジョニー・バレンタインは、打撃オッケーな感じです。結構、激しく殴られているので、なかなか激しい打撃戦だったと思われます。

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 それでは試合です。期待と不安が入り混じる中、運命のゴングが鳴り響き、アントニオ猪木と東京プロレスの運命を乗せた試合が始まりました。

 試合序盤から、激しい打撃戦が展開されます。まずは、バレンタインがボデイへのパンチ攻撃で猪木に襲い掛かります。動きの止まった猪木の脳天に強烈な毒針エルボースタッブをお見舞います。1発、2発…とバレンタインは執拗なエルボー攻撃を展開しますが、しかし、猪木も負けていません。コーナーにバレンタインを追い込むと、弓を引くようなナックルパンチで反撃します。ナックルパンチ、空手チョップを何十発とバレンタインの胸板や顔面に叩きこみますが、相手もアメリカ屈指の強豪レスラーです。怯むどころか、バレンタイもエルボースタッブで応戦します。開始10分もすると、二人の激しい攻防に新しいプロレスを観た観客は、興奮のるつぼと化します。

 試合はいよいよ佳境へ入ります。一瞬のスキをつき、猪木はロープの反動を利用して、コブラツイストで捕獲。力の限り締め上げるも、バレンタインは、これ強引にはずして、猪木を場外へ突き落しますが、猪木はすぐさまリングに戻り、動きの鈍ったバレンタインに日本初公開のアントニオ・ドライバーを炸裂させます。バレンタインは、堪らず場外にエスケープ。追う猪木は、場外でバレンタインを捕まえると、渾身の力をこめて、この日2発目のアントニオ・ドライバーを。蔵前国技館の床に背中を強打したバレンタインは、一旦、立ち上がるも、力なく崩れ落ちるのでした。カンカンカンカン、31分56秒。アントニオ猪木は、アメリカの強豪に勝利し、見事に東京プロレスの初陣を飾ったのでありました。

 しかし、結局のところ、猪木ら若手レスラーの奮闘も虚しく、金銭的に逼迫した東京プロレスは、3か月で自主興行をすることができなくなってしまい、そして、旗揚げ戦から僅か6カ月で、団体は潰れてしまいます。団体崩壊という悲劇に見舞われた 猪木ら若手レスラーたちの運命はいかに!?というところも気になりますが、それは次回の講釈で。

 「アントニオ猪木が日本で初めてメインイベント戦に出場したのは、いつか?」でした。