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2018年の「ショーヘイ・オオタニ」旋風の55年前に全米を沸かせた最初の「ショーヘイ」は、ジャイアント馬場でした。

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王者の魂 ジャイアント馬場のテーマ ORIGINAL COVER

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ジャイアント馬場

本名、馬場正平(しょうへい)

1938年 生まれ。
1955年 読売巨人軍に入団。
5年間の在籍で1軍出場は1957年の3試合。1957年度成績3試合0勝1敗 防御率1.29。
1960年には大洋ホエールズに移籍するも、春のキャンプで左肘を負傷し、引退。

1960年4月10日 日本プロレス入門
1960年9月30日 デビュー戦
1961年夏    アメリカ初遠征

 

 その後、日本とアメリカを何度か行き来し、デビューから僅か4年。26歳のジャイアント馬場は、本場アメリカ・レスリング界で、ビッグマッチのメイン・イベンター戦だけに出場するという大物待遇を受け、各地で「ジャイアント旋風」を巻き起こす大活躍をしています。特に活躍著しいのが1964年2月でした。

●1964年2月の「ジャオアント旋風」

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闘っているのは、恐らく鉄人「ルー・テーズ」です。

 1964年の2月だけで3団体のタイトルマッチに4度登場するという人気ぶり。2月8日は、ミシガン州デトロイトでNWA世界王者の鉄人ルー・テーズと世界戦を行い、一週間後の15日には、今度はオハイオ州シンシナシティで、再びルー・テーズNWA世界王座戦。その2日後には、ニューヨークのMSG大会のメインイベントで、人間発電所ブルーノ・サンマルチノとWWWF世界戦を戦います。そして、最後は11日後に東海岸から西海岸のカリフォルニア州に移動して、ロサンゼルスで銀髪鬼フレッド・ブラッシーとWWA世界戦を戦いました。

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ニューヨーク市マンハッタン区にあるスポーツアリーナ「マディソン・スクエア・ガーデン」で、26歳のジャイアント馬場は、1年前にWWWF世界王者になったばかりのブルーノ・ザンマルチノ(29歳)に挑みました。

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左からルー・テーズ、ブルーノ・サンマルチノ、フレッド・ブラッシー

①1964年2月8日(デトロイト)
NWA世界戦 王者ルー・テーズに挑戦 2-1で敗戦

②1964年2月15日(シンシナティ)
NWA世界戦 王者ルー・テーズに挑戦 2-1で敗戦

③1964年2月17日(ニューヨークMSG大会)
WWWF世界戦 王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦 1-0で敗戦

④1964年2月28日(ロサンゼルス)
WWA世界戦 王者フレッド・ブラッシーに挑戦 引き分け

  

 

 

 ちなみに、2月17日のブルーノ・サンマルチノ戦のギャランティーが3800ドル(1ドル=360円で計算すると136万8000円)で、この額は、当時のメインイベンターの中でも最高額ではないかと云われています。また50年前の旭化成の大卒初任給が2万3000円ぐらいだという話があるので、ざっと換算すると、現在の感覚だと1300万円ぐらいでしょうか。自信ありませんが。 

 

●全米で「大巨人」と認定される

 アメリカでは「大巨人=Giant」は独占しないという感覚があるようで、初代大巨人の「スカイ・ハイ・リー」もゲスト待遇で各テリトリーをサーキットしていたと云われるので、恐らくジャイアント馬場もこのとき人気が爆発により「大巨人待遇」を獲得して、各団体のビッグマッチに出場していたのだと思われます。

「大巨人の系譜」としては、
1950年代の大巨人「スカイ・ハイ・リー=206㎝」
1960年代の大巨人「ジャイアント馬場=209㎝」
1970年代の大巨人「アンドレ・ザ・ジャイアント=223㎝」
という感じではないでしょうか。1963年頃のジャイアント馬場のニューヨークでのリングネームが「ババ・ザ・ジャイアント」らしいので、アンドレも「ザ・ジャイアント」という名前もしっかり継承していると思います。それにしても、アンドレの223㎝はでかいですね。

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 60年代の若手時代に凌ぎを削ったブルーノ・サンマルチノとジャイアント馬場は友情を育み、WWFが新日本プロレスと業務提携をするようになってからも、WWF所属にも関わらずブルーノ・サンマルチノは、新日本プロレスには来日せず、ジャイアント馬場の全日本プロレスに来日しています。

「2018年の『ショーヘイ・オオタニ』旋風の55年前に全米を沸かせた最初の『ショーヘイ』は、ジャイアント馬場でした。」でした。