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1986年謎の遺恨マッチ「前田日明 対 アンドレ・ザ・ジャイアント」本来、予定されていた勝敗は?

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 1986年4月29日に三重県津市体育館で行われた「前田日明 対 アンドレ・ザ・ジャイアント」本来、予定されていた勝敗は何だったのか?

 

 「前田日明(当時27歳) 対 アンドレ・ザ・ジャイアント(当時40歳)」は、この日が2度目の対戦でした。

 2人の初対決は、この試合の約3年前1983年5月13日、大宮スケートセンターでのIWGP公式戦。勝敗は、18文カウンターキックからのヒップ・ドロップ、5分27秒でアンドレが勝利しています。(ヨーロッパ代表として参加した前田日明(当時24歳)は、このIWGP決勝リーグでは、他にもハルク・ホーガン(当時33歳)とも対決しており9分40秒、斧爆弾で撃沈しています。)その後、前田日明は、1984年2月9日の試合を最後に新日本プロレスを離脱し、第1次UWFに参加。格闘技色の強いスタイルが熱烈な支持を受けるも、僅か1年半でUWFは崩壊したため、1986年1月に業務提携という形で、前田日明は古巣の新日本プロレスに復帰。そこから4か月が経過した、復帰後3シリーズ目で組まれたカードが、この「前田日明 対 アンドレ・ザ・ジャイアント」でした。

  

 

 

 この一戦は、反抗的な前田日明を潰すために組まれた試合だという説が囁かれており、実際試合は、序盤から噛み合わず、中盤から膠着状態となり、異様な雰囲気を漂わせたプロレスとは掛け離れた内容でした。放送を予定していたテレビ朝日も放送を見送り、お蔵入りになりました。(ただし地方局での放送があり、その録画が流出。)

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試合は17分過ぎあたりから。

一応の試合経過

 序盤はアンドレの強さが光ります。体重をかけた固め技、開始2分過ぎのカウンターのエルボーなど、本気で潰すなら、この時点で終わっていたのではないかと思われぐらいの強さでした。自分の勝手な印象だとアンドレは、あくまでも「お灸を据える」程度の感覚だったのではないかと思われますが、しかし、ヒートアップした前田は「設定無視」を決め込み、本気になっていきます。アンドレのスタミナが切れると、徐々に前田ペースとなり、片足タックル、関節技、ローキックの連打で、すでに戦意喪失しつつあるアンドレを翻弄。20分過ぎにアントニオ猪木が突如リングインして、試合を止めるのかと思いきや、何もせずリングアウト。その後、4分近く蹴られ続けたアンドレは、ついにリング上で大の字となり、試合放棄のジェスチャー。猪木、新日軍、UWF軍がリングインして、試合は、26分35秒ノーコンテストで終了しました。結果「大巨人神話」は崩壊、代わりに「前田最強伝説」が生まれました。

 ちなみにアンドレは、この前田戦の2か月後の6月17日、愛知県体育館での猪木戦で置き土産を残し、そのシリーズを最後に新日本プロレスを去り、前田日明も、この試合から1年半後、1987年11月19日の東京後楽園ホールの6人タッグマッチで無防備の長州力の顔面を蹴って、「右前頭洞底骨折全治2か月」の怪我を負わせ、翌1988年3月1日に新日本プロレスを解雇されています。

 

当日、予定されていた勝敗は?

 『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』(井上譲二著/宝島発行)によると、当日、予定されていた勝敗は、「アンドレが18文キックからのフォールで勝利」だったそうで、前田日明もこの結果を了解していたそうです。そして、この事件の真相は、何だったのか?「アントニオ猪木黒幕説」「坂口征二黒幕説」「ミスター高橋黒幕説」などいろいろな説が囁かれるなか、同書は、プロ意識の高いアンドレが「自分の強さだけをアピールしようとする前田を、ちょっとこらしめようとしただけだった」と締めくくっています。

昭和プロレス 迷宮入り事件の真相 YouTube時代に出た最終結論

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